力のいれどころの転換①

普段、どちらかと言えば、力を抜くことの重要性やむずかしさについて良く書いていますが、今回は、「力のいれどころ」に関係するお話。

毎日毎日、色々な方々のグループ指導であったり、個人指導であったりして一人一人の動きを観ます。そしてそれらについて考えることがなにより、一番の勉強になります。

よく、肩の力を抜いて、という指導(心理的な意味を除いて)は、スポーツ・運動指導に限らず、書道、絵画、歌、楽器演奏など、身体を使った技術指導をする人なら、ほぼ全員したことがあるでしょう。

さて、ひとくくりにすれば単なる「肩の力を抜く」という一つの情報ですが、どれだけ細かく細分化できるかと言うのが指導者の腕の見せ所の一つではないでしょうか。

例えば、あくまでもベタな一例ですが・・
普通に肩の力を抜いて、と声掛けをして肩が自然に「下がっている」状態になれる人と、意識的に「下げる」と言う状態を一旦作って肩の力を抜くということを人に教える場合があります。「下げる」場合では、肩甲骨を下げる動きする筋肉を使っています。どちらがいい悪いではなく、最終的な見た目はほぼ同じかもしれませんがその状態や最終的に力を抜く過程には違いがあります。

後者の場合、その逆の働きをする筋肉との相対的な関係がそのカギを握っています。つまり肩を挙げる働きをする筋肉への意識が強く、または緊張しているために、まずは力を抜いたような状態(肩が下がった状態)を作るために下げる筋肉が働かせる、意識を高める、あるいは活性化させなければならない、と言うようなことです。

つまり、力のいれどころの意識の変換です。

もちろんこの場合でも、なにか別の形(例えば何らかの刺激)で肩を挙げる筋肉を緩ませることもまた別の方法としてあるでしょう。

こう考えると、ある部分に見える、ある現象は、それと近接する部分との関連があり、相対的なものであると言えます。さらに考えれば、その関連をさかのぼって、そのまた周辺、そのまた近接部と言うようにどんどん拡がって全く関係のないと思われるようなところまでいきつきます。

そういう全身の相互作用の結果とも考えられますので、ある部分に少し力を込めたら、別の部分の力が抜けた(緊張が解けた)ということもよくあることです。

力を抜くという発想とは逆に、こうした、力の入れどころを変える、不活性な部分を活性させるということで結果的に全体として効率的な動きへと導くことができると思います。

サプリメント的な発想、すなわち、弱いところを鍛えるという発想とは似て非なるものだとも思っています。

というのも、エネルギー保存の法則のように、どこかが増えれば、どこかが減り、全体としては減りもせず、増えもしないという発想に基づいているからです。

次に続きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です