力のいれどころの転換②

こうして何年も何年も色々な方々の動きを観察してくると、やはり力の入りやすい部分と、抜けやすい部分があるようです。これは、いわば、意識しやすい部分としにくい部分でもあるように思います。

先ほどの肩の例を考えても、同じ肩周辺の筋肉でも、力の入りやすい筋肉、なかなか働かせるのが難しい筋肉もあります。またこのように一定の傾向があるように見えますが、そうはいっても、個人の種々の条件によってそれも様々です。

話変わって、少し前、私の事ですが、古武術の先生から、ある特殊な拳の握りを伝授されました。詳しいことは省きますが、その握りのまま両腕を上に向かって素早く上げる動作、いわゆる「型」をした時に、どうも左ひじに違和感を感じました。

なぜだろうと思い、いろいろ自分で自分を観察してみると、その動作の時に親指、人差し指あたりの力がちゃんと入っていないことに気付きました。

そこにぐっと力を込めて動かすと違和感がほとんど無くなる、ということがありました。まさにこれが、意識しやすい部分、しにくい部分の表れだな~と再確認しました。

話を戻します。

様々な方々をセッションする時に椅子に座った状態で腕を横に広げて手まで伸ばす動作をしていただくときにも同様なことが起こります。

これは全身に均等な、あるいは適正な力と緊張を発揮して、実感していただくための動きの形であり、効率的でリラックスした動きへの第一歩なのですが・・・

手首の力が抜けていたり、肘がロックしてしまう、ある特定の指の力が抜ける、などなど・・

脊柱でも、胸椎周りだけ緩めるように力を抜こうと思うと、腰椎まで抜けてしまう。

リラックス、力を抜くということを強調しているくせに、抜けたらいかんのかいっ!と、もしかしたら怒られるかもしれません(笑)。

運動をする以上、どこかで力が発生します。その力を何かに伝える、あるいは移動する力に変換するのが運動の本質だと思っています。

何か力を発生させて、身体を使って動く時には、全身が均等にバランスよく働いていた方が疲れずに、しかも大きな仕事量をこなせるはずです。

そこにロスはつきものですが、限りなくゼロに近づける。

その力の通り道では、抜けている(筋肉が働くべき場所では筋肉、関節がきっちりと適合している状態のような構造上の場合もあります)、というか「繋がっていない」箇所があっては、そこで力が滞ってしまいます。

だからといってやみくもに体を固めてしまっては力の無駄遣いになってしまいます。

先に述べたとおり、どこかが緩んだ状態は、そこで、力が逃げてしまったり、その前後の部分でストレスがかかったりということが推測できます。

つまり、ある動く機械の、ある部分のネジが緩んでいるのと同じです。
それに気付かず、大きな力やスピードを上げた動きを発生させようとすると前述の私の例のような違和感や痛みへと発展するのでしょう。

ですから、力をある経路に向かってしっかりと伝えるため、重力を利用することも含め、しかるべき筋肉や関節などを総動員できるよう意識するということが必要なのだと思います。

そしてこういう風に意識することそのものが「氣」と呼ばれるものの一つなのかもしれません。

さらに、スポーツ競技においては、発揮しなければならない力の経路もどんどん変化しますし、それを諸々の環境や条件、タイミング、相手との駆け引きの中で適正に発揮しなければなりません。

すべての条件を使える状態にしておかなければならないと推測されます。

こういうことが良く「センスが良い」と言う言葉で語られることなのではないでしょうか?

そして、こういった緩みや緊張、身体を動かす際に「感じる」ということを増やしていくということは、ある程度運動するための神経や筋肉が出来上がってから、さらにセンスを高めるための非常に重要なポイントではないでしょうか?

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