ピラティス・ボディーワークの原則とトレーニングの原則の関係② トレーニングの原則再考

前回は、ピラティスの動きの原則とそれを意識して運動した時の効果について、少し書いてみました。

そして、この効果と原理原則いうものを考えるとき、運動科学・トレーニング科学というものを一定期間ですが勉強させていただき、陸上競技のトレーニングもかなり真面目にやりこんできた私にとっては「トレーニングの原則」と言うものが思い浮かびます。

ちょっと初心と基本に戻り、この当たり前「化」してしまった原則について、ピラティスとの関連にも目を向けながら、思うところを書いてみたいと思います。

トレーニングの原理・原則と言えば、基本的にトレーナーの養成教育を受けたトレーナーと呼ばれる方ならば、おそらく知らない人はいないでしょう。
ちなみに、あまりにも基本的すぎるがゆえに、この原則の歴史的な成り立ちやどのように確立されたのかと言うことを知りません。(ぜひ詳しく知っている方がいたら、その文献などを教えてほしいです!よろしくお願いいたします!)

そういう前提でお読みいただければ幸いです。

いくつかを紹介してみたいと思います。

過負荷の原則(オーバーロードの原則)
継続性の原則
漸進性の原則
特異性の原則
意識性の原則
全面性の原則
などが思い浮かびます。

それぞれ個々の意味について必要があるもの以外詳しくは触れません(ただ、ほぼ読んで字のごとくですので、知らない方もある程度想像できるとは思います。)。

これらの中でも基本中の基本に、

「過負荷の原則(原理)」というものがあります。

過負荷の原則とは、簡単にいえば、そのトレーニングのストレスや強度がその人が経験しているもの以上を与えなければ、トレーニング効果を得られないという原則です。筋力トレーニングの場合であれば、普段よりも重い負荷で運動すると効果があがるということです。

しかし、前回の投稿で書いたような末端の小さな運動の場合、あんまりこの原則にはあてはまってないな~とよく思うのです。

とくにピラティスの教えの中には「疲れが出るまでやってはいけない」という教えまであります。このことは明らかに「過負荷」の原則とは違ったことをいっているように見えます。

どちらかがデタラメをいってるのでしょうか?

あるいは。原則の背景となる前提が違うし、目的とする効果も違うのだから、一緒に考えること自体ナンセンスかもしれません。

でもここではあえて、人間の運動とその効果ということでは同じということで、シャッフルして、いっしょくたに考えてみることにします。

さて、あのピラティスをちゃんとやった時に感じるあの爽快感や軽さといった様々な効果はやはり嘘ではないと思います。そこには「何か」が隠れているというのは事実でしょう。

ピラティスの根本にある原則となるもの、トレーニング科学の中の原理原則との違いはなんなのか?お互いに相容れないものなのか?

次回、これらのことについて、その他の原則も含めて、さらに考えたいと思います。
              

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