余計なものをそぎ落とした日本的ピラティス?
少し投稿があいてしまいました!
ネタはいろいろとあるんですが・・・今回は
イッツイトーズピラティス的?ピラティス論、ボディーワーク論について、あーでもない、こーでもないとタラタラと書いてみようと思います。
さて、先日の話。
高齢者の方々のグループ指導のおり、運動が始まる前に、ある男性が農作業をやったら左肩が痛くなって腕があげにくくなったと訴えてこられました。時間もないので椅子に腰かけたままでゆっくり首の側屈運動をやってもらったら、その場で解消。
これまでも同じようなエピソードをいくつも紹介しているように、結構こんな例が多く、この人は首でしたが、同じような肩の問題でも、当たり前ですが他の人は足首の動き、また違う人は股関節の動きといったように改善する運動は人によって違います。
そして、大問題。これはピラティスなのか?ということ。動きは一般的なピラティスの処方とは違って動きも小さいし筋力強化もそこまで必要ではありません。
しかし私的にはやはり、こういった場合でもピラティスの原理原則や動きの評価から大きなヒントを得ていることは間違いありません。
ただ、なぜこの運動の時、この手はこういう形なのか?とか目の動き・位置はどうなのか?アゴの状態は?背骨は?胸郭は?その組み合わせは?などを非常に細かいところまで徹底的に考えるようにしています。
そもそもなんで、ピラティスって「いわゆる」胸式なん?これしかしたらいかんの?
そしてわからないときは他のボディーワークからの解釈を借用したり、自分なりに追試してみたりしています。
そうするとなんか「ええ~これってホントにピラティスなん??」
ってなってくるのです(笑)。
華やかなポーズや派手な動き、バリエーションの豊富さのようなものぱっと見て「すごーい」というものが目を引きますが・・・・
ちゃんとできる人がどれだけいるのか?またやれるようになったといってどれだけの利益があるのか?
たのしさ、自己効力感ってやつですか?それだけが目的ならいいでしょう。
やる人の目的が違えばピラティスのやりようも変わるのは当たり前ですが、また使える種目もそんなにバリエーションを増やす必要もなく、本当に人間の基本の動きが深まってくれば、色々なことに応用できるはずです。
何気ない動きをより深めん!!それが今のテーマです。
逆さづりになったり、一回転したりする、凄いエビぞりになったりする必要はまったくありません。ピラティストレーナーだからと言ってしなきゃならんということもない。こういうのって基本指導者の自己満足もあるんじゃないかな。できたらいいけど、必要もないのに無理に練習するものでもない。
ただ、難しいことをやるなかで突然ブレイクスルーが起きるということも否定はしませんし、実際あると思います。
が!
いかんせんリスクも大きいということを心しなければなりません。
そう言う意味では、基本動く感覚さえある程度操れればそれでいい。その代り見る目もしっかり養う。これも相当訓練がいるものです。
実践することは大切ですが、一方でできるということと、教えるということは違います。「名選手、名監督に非ず」ともよくいいますよね。
まあ、いずれにしてもそれが伊藤式ピラティスってことで(笑)。
まだ本題について、もう少し書きたいことがあるので、続きはまた今度!!