東京コンディショニングセミナーの感想

11月24日(日)東京・大塚 トータルフィットネス・コンディショニングセンターにての勉強会の感想を世話人で、トータルフィットネス・コーポレーションのトレーナーの本橋正光先生の感想をいただきました。

 

もう12月になってしまいました。東京から帰ったあともいろいろ忙しくゆっくりとブログを書くような状況ではなかったので遅くなってしまいました。

 

 

こういうボディーワークの勉強会をやる際にどちらかというと医療職の方々が多いので、トレーナーの方がどのような視点でみてくれるのかということには非常に興味がありました。

 

このようなフィードバックをいただけるのは大変光栄です。

 

以下、太字で斜体字が原文となってます。

 

 

はじめて伊藤先生のご指導を目の当たりにした。
ピラティスというバックボーンを持ち、陸上競技も経験している。おまけに古武道の
経験も加味されているトレーナーってどんな指導をするのだろう。
このような疑問が勉強会をワクワクさせた。
被験者は自分の感覚が基準になり、体のどこかが痛いのか?痛くないのか?はひとつ
の主観的観察である。
その被験者の主観と術者の客観を合わせて行くことがセッションで効果を挙げる上で
とても重要な要素となる。
アーティキュレーションという言葉があったが、音楽などの技法で音を整えるような
意味があり、短い単位で区切るという基本義がある。原義としては「関節や節目」が
あり、勉強会では「分節」とされていた。それらの“区切り”を体が機能的に働くた
めに様々な組み合わせを考えるのである。
つまりこれが『統合』である。
ただ、考えて行うだけだと難しいので、やはり感じることを優位にすることで被験者
が何を欲しているのか、どうしたいのかが分かるようになってくるのだと思う。
スムーズな呼吸が出来るようになることは、生きる上で最重要である。
その呼吸をするための統合を阻止している区切りはどこなのか。またどうすれば区切
り同士が結びつき統合するのか。それを客観的に見つけて行くのである。
被験者を観察すると、呼吸の特徴がそれぞれにある。
胸ばかり膨らむと感じる人、ただ客観的によく見ると胸はあまり膨らんでいない。
その分節のつながりをブロックしている何かが存在するのである。
まずここで主観と客観がずれる。
そして、内観を繰り返し自分の体へのコンタクトと呼吸を繰り返す。
結構な回数の呼吸を繰り返すと思った。
被験者は仰向けで呼吸しているが、私は椅子に座ったまま呼吸を繰り返す。
それだけで眠くなってしまった。
内観をしたままゆったりとした呼吸を繰り返し、一度やめて全身の内観。
そしてまた呼吸を繰り返し内観していくうちに次第に被験者の呼吸が深くゆったりとしたものに変わって行った。

 

 

伊藤先生が被験者にどのような感覚かを問い合わせ、息の入りにくいところを確認する。そして体の統合していない分節を感じる。
感じると書いたが、目で見て考えるより感じている方が強いように思った。
感じて考えているのかもしれない。
首の位置を少し変えるだけで、呼吸は行いやすくなる。
腕の位置を変えても、呼吸はしやすくなる。
素人は「なぜ???」と神秘的な人をみるように驚くだろう。
でも体の専門家を生業にしている私にはそれが体の仕組みだからというのがわかる。
ただ、それをどのように感じ、見つけるかは伊藤先生にしかわからない。
だからマニュアルで教えることは出来ないのである。
マニュアルで覚えて実施しても必ずその通りに行かなくなる。体には仕組みがあるが、人によってその組み合わせや順序が違ってくるから、一筋縄ではいかない。
痛いと言ってもどのくらい痛いのかは人によって違う。
だから主観と客観のギャップを埋めていく作業がセッションでは大切で、体を統合することでその差異を少なくしていくのだろう。
伊藤先生は様々な観察と小さな動きをゆっくりと繰り返して、最終的に統合してしまう。
動物は主の感覚で動いているという言葉が印象に残っている。
その随意、不随意を含めて被験者の基準と術者の基準を統合していくのがセッションの目標になる。
今回、下肢の小さな運動で筋肉が緩んだり、関節可動状態が好転したことはまさに被験者自身が主の感覚で内観を繰り返した結果である。
やはり基本は内観である。
その内観をどのように行わせて、変化を感じさせるのかが、術者の技術になる。
そこには観察力を鍛えること。感性を高めること。人の統合システムをイメージすること。
これらは大きく速い動きでは結果が得られないことを理解し、大きく速く動く前にやるべきボディワークがあることを多くの被験者、術者に知ってほしいと思った。
それと、伊藤先生は声がけをするときにきちんと条件設定をして指導されていることは流石であった。
このような学びができる機会はそうそうないであろう。
おそらく伊藤先生のセッションは、私が普段行わないようなことを行っていると想像する。
被験者の達成したい目標は同じであるが、伊藤先生のような指導の仕方でもたどり着くゴールは同じである。
同じ方向を見ていても影に隠れていて見えていない部分が見えたことで、私のセッションにもまた新たな視点が加わり、視野が広がったのである。
伊藤先生の思考、指導方法が私の指導の影を照らし出してくれたのである。
継続して学びたい内容の素晴らしい勉強会であった。

 

以上です。

 

やはり本橋先生が感想の中で私の指導のキーワードとして、「主観と客観」「統合」「内観」「観察」ということが出てきたと思います。

 

どんなに、神秘的に見えることでも必ずその原理や基準となるものは存在します。偶然というのは確かにありますが、それもある意味「準備された偶然」なんだとおもっています。

 

そのための身体の見方の基準の例をこの勉強会では例示という形ですが、見せられたかなと思っています。あくまでも例示でしたので、もっと詳しくやりたかったなという思い、反省もあります。

 

主観と客観についてもいろいろと話しましたが、どんな業界もそうでしょうが、主観は軽んじられ、「客観性」というものを重視する傾向はとくに最近顕著になっているように思います。

 

しかし、ここであえて本当に知っておかなければならないことは、純粋な客観って存在しないということでしょう。

 

つまりどんな客観的な観察も、「ある対象に焦点をしぼり、その客観的な観察をしよう!」っていう主観が入っています。

 

主観と客観って、主体の人の内観と他者による観察ということと同じってきづきましたか?

 

繰り返しになりますが、内観は主観で、観察は客観ですよね。

 

でも客観である観察は、その観察者の主観による観察なんです。どんな高度な機材や機器を利用しようと精度の差はあっても、それを観察しようという人の主観があるわけです。

 

つまり主観なくしては客観はありえないんです。

 

主観こそ、五感、第六感を含めて感じるということなんです。

 

実際の指導では、基準を設定して、コマンドを出してみて、動いていることを見て、そして触れて、感じて、考えるという作業です。

 

ある意味単純なことですよね。

 

主体者の主観、観察者の主観の精度を磨くということこそが、客観性を磨くのだ、ということが私がもっとも多くの人に気づいてもらいたいと思っていることなんです。

 

テクノロジーが進み、客観的な知識や観察方法が増え、それに対応する方法論が増えれば増えるほど、考えなければならないこと、感じなければならないことが減ります。それを扱う主体の主観をしっかり太くしていかないとそれに溺れてしまうんです。

 

逆に主観をしっかり太く確実なものにすれば、方法論は一つでも十分高度なことができるはずなんじゃないかなとも思います。

 

そして統合というのはその先にあるものなんですよね。統合と一言で言っても、その統合の仕方は無限にあるんですから。

 

ここでは触れませんが文中にて、他にもいろいろ大事なことをフィードバックいただきました。

 

本橋先生の感想をいただいたことで、そういうことを含めてより考えが明確になり、再認識させてもらいました。

 

ありがとうございました。またやります!

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です