Evidence Based(エビデンス・ベースト)
エビデンス ベースト という言葉があります。
Evidence based と書き、エビデンス(証拠・根拠)にもとづいた、という意味です。証拠とは、この場合、特に科学的な証拠、根拠ということです。
私には、科学にさえ基づいていれば、安心!!だから、信じなさい!と言っているように見えます。
でも、科学的なデータって言うのは批判的に見ることが大切です。どのような学問でも、たとえば論文を読む手ほどきを受けるときは、基本的に批判的に読むことを教わるはずです。
こういう論文があって、こんな結果がでているから、それにのっとったこういうトレーニングが効果的!!
もし、それを無批判に信じてやっているというのは、根拠に基づいて(evidence based)ではなく、根拠依存(evidence dependent)じゃないですか?
そしてエビデンスベーストでも、そのエビデンスの前提からは逃れられません。
必ずどんな証拠であっても、ある前提、条件に基づいて調査研究されています。
たとえば、動物の進化が、基本的にダーウィンの進化論に基づいて考えられるのと同じです。
ほとんどの場合、突然ある種の動物が、進化の過程を経ずに突然現れたのかもしれないというのは考えの中に含まれません。
でも、そういう条件のもとで調べたにもかかわらず、どうしてもその条件に合わない!!ということがたくさん出てきて、初めて、その前提を疑います。
また、私の個人的な偏見かもしれませんが、科学の世界って、偏狭で近視眼的な議論しかできない部分が多々あります。ある意味、そこがいい部分でもあるのですが、それを一般社会へ持ってくると大きな危険性がありますね。
またリベラルなようでいて、案外、権威主義がはびこっています。
でも、たとえそうであっても、いや、だからこそ本来科学ってのはもっとオープンマインドじゃなきゃ本来はダメなんじゃないかと思います。偏見は科学と正反対のものであるはずです。
しかし、科学も人間がやっている以上、やはりいろいろな利害や、偏見からは逃れられません。最近はむしろ科学が利害や偏見を増長しているようにも思えます。
それでも、科学や学問の世界の決まりごとの中ではあることが正しく、あることが間違っているという考えは、それでいいですが、
いろいろな人がいる一般社会を含めた世界では、結局ひずみが大きくなるように思います。
つまり今のコロナ騒動なんかの一部の医学系科学者の出しゃばり様(すべての科学者のことを指しているわけではありません)はそれをうまく表しているようなきがします。
コロナの重箱の隅をつついてばかりいないで、リモート授業なんかやってないで、大学の授業を再開しろ!といいたい。
コップの中の嵐、試験管の中の嵐を全世界に本当の嵐にさせてしまったような感じですね。
たとえ感染力が症状発現よりも前にピークを迎えるということが分かっているらしいですが、結局感染した症状がほとんど軽いものしかなく、死亡率もインフルエンザよりも低いことがわかっているのに、濃厚接触者の管理、マスク、消毒、マスク、消毒の嵐。
そして今日も何人出た!やばい!第3波だ!怖い!年末年始は気をつけろ!
それだけ管理してても、増えるものは増えるし、別に増えても結局インフルエンザ相当のことでしかないのに。
太字の感染力云々のエビデンスの話は有名な科学雑誌のネイチャーの論文だそうですが、
だから、何? 広島弁風でいえば、「じゃけえ、どしたんよ?」です笑。
それって感染力だけの話でしょ。
それをもとに、いろんなものを犠牲にして、一般に広く濃厚接触者の管理ってバカじゃないのかって思います。あきれて反論もしたくありませんでした。
議論が近視眼的すぎます。つまりコップの中の嵐です。
一般社会には全く当てはまりません。
まあ、その中でも、これを逆手にとって商売はできるもんですね。わかっている人たちはそのことをよくわかっていて、
ソーシャルディスタンスやいろいろなことがもう、一般社会では形骸化しています。本気でやばいと思っている人々はだんだん少なくなってきています。
仮にやばいと思っている人がいても、その人たちは本人が気づこうが気づかまいが、コロナが怖いんじゃなく、他人の偏見がやばいと思っているんですね。
科学といえど、世間の人々の逞しさにはかないませんし、そうあってほしいものです。私のように今の科学にブーブー言ってる人間よりもはるかに素晴らしい!