運動の時間感覚

運動の時間感覚

マラソンで日本記録が生まれましたね。

だからというわけではありませんが、選手の感じている時間の話。

私も中・長距離の選手をしていましたので、よく、級友などに、「走ってるとき、何考えてはしってるん?」とよく聞かれましたし、いまでもテレビ番組なんかで、特に関西系のタレントが、おんなじことを有名選手に尋ねてたりするのをときどき見ます。

「ハイ、出ました!ベタな質問!」って感じですが、そもそも、どういう答えを期待して尋ねるのかまったくわかりません。

ひねくれた考え方をすれば「あんな、ただ走るだけで、1時間も2時間もバカみたいに必死にやるやつの気が知れんわ!あほちゃうんか?」ということかもしれません。

まあ、別に必死にやってるわけではない人も結構いるんですが、いずれにしても、こういう人に何を考えているか真面目に答えたところで、納得してもらえるわけがありませんので、絶対ムダです(笑)。

先のタレントさんの場合、話の分かる人、わからない人にかかわらず、考えていることはテレビウケですから、ウソじゃなければ、「走り終わった後のビールです。」とか、「今回なら、報奨金1億が頭に回っていました。」とか答えとけばいいでしょう。

またくだらない話が長くなりました。

何が言いたいかといえば、この時間感覚はわかる人にはわかり、わからない人にはわからない。

分かりたくない人にはわからなくても、大した問題ではありません。

その時間感覚って、何か考えるというよりも、ずっといろいろなとことに意識をむけ感じ続けていると言う感じでしょうか。

一歩一歩のストライドの感覚、前に進むときの抵抗、筋肉の疲労度合、残りの体力、呼吸、ライバルの足音、位置取り、駆け引きなどなど・・・

動きの情報量の話をブログでもしたことがありますが、長い時間でも短く感じるし、一瞬の時間を限りなく引き伸ばすということもある。

ある意味時間を自由に操れるという事かもしれません。

野球のピッチングなんて、振りかぶって投げるほんの短い時間に普通の人とくらべてたくさんの時間に相当する情報を込めて投げるから、見た目にはほとんど同じ投げ方で、たくさんの球種、やスピード、コントロール正確に操ることができます。

これは単に練習量、トレーニングの量を増やせばだれでもできるという事ではないということです。

そう、わかるひとにはわかり、わからない人にはわからない。
凄い人がいる一方で、そうでもない人がいるのと同じことです。

時間を凝縮し、一方で引き延ばしていると言うのはこういうことだと思います。

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