リラックスと気を抜くこと

リラックスと気を抜くこと

リラックスすることと、気を抜くことは違います。

ある合気道の達人の話で、リラックスするのはいいが、気は抜いてはいけないと言われていたのが印象的でした。

一般生活でよくあるのは、忙しく、必死でやっている時には元気なのに、一旦落ち着いて、やれやれと思った途端に風邪をひいてしまったり。

同じく、その達人の談(戦争に行って帰った時の話)で、緊張状態の戦場から帰ったとたん、廃人のようになり早死にしてしまう人が多かったとか・・・

言葉で表現することはなかなか難しいですし、一般生活においては自分自身を振り返って、リラックスして、一緒に気を抜いてしまうことと、リラックスしていても、気は抜いていない状態は判別がなかなか難しい。

修行がまだまだ足りないようです(笑。

でも、動き、運動においては、その違いが結構わかるようになってきたように思います。

例えば、ピラティスの専用の器具を使った一連の動きで、バネによって負荷のかかる方向への動きと、アシストされた方向への動きがあります。そこに垂直方向の重力との関係が加わることにより、普通の運動よりも複雑な刺激と動くための基準点が多くなります。

それに対して、身体をうまく適合させながら、その運動を実行するので、重力に基準を合わせるとバネの抵抗やアシストを忘れてしまうし、バネに気を取られると、またうまく動かないということが起こります。

大抵、バネの抵抗に対して、引っ張ることばかり考えて、そのバネをもとに戻すときには、すっかりバネの事を忘れて(気が抜けて)跳ね返されるように戻ってしまったり。

さらにそこに、その動きに対する本人の無意識的な解釈も入ってくるし・・・

全ては調和ですので、最も効率のいい場所、姿勢、力加減など、こういったものを自分なりに探していかなければなりません。力を入れすぎてもいけない」し、抜きすぎてもいけない。

つまり、気を抜けないわけです。

こういうことが理解できてから、普通の人の動作を観たりすると、

人間の動作っていかに、気が抜けている局面が多いことか、思い知らされます。

深く突っ込んで考えると、こういう道具だから、少しわかりやすいだけで、よくフィットネスクラブにあるような、ウエイトマシンの類でも経験上、こういうことは非常によくあります。

逆に、もっと体の部分、部分に焦点を絞ってみてもよく意識が通っているような部分と、全く動く意志のようなものが感じられないような部分もあります。

言葉ではなかなか表現できませんが、この違いを、もっともっと追究していきたいものです。

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