ブレない体幹を作るために体幹トレーニング?

「ブレない体幹を作るために体幹トレーニングに取り組んだ。」

 

よく、大きな試合で、いい成績をおさめた選手なんかの新聞の記事などによく出てきます。

 

そういう成功談、努力の甲斐あって花が咲いた話を読めば、

 

「そうか、身体をブレなくさせるためには体幹トレーニングをやればいいんだ!」

 

と、だれでも当然そう思います。

 

しかし、これで本当に身体がブレなくなるんでしょうか?

 

ここで、まず「ブレる」ということがどういう要素や原因でぶれるのかということを本来なら一つ一つあげて、長々と書きたくなるのですが、そこは少しガマンして(笑)、

 

結論から先に言えば、体幹の筋力そのものだけにフォーカスしている限り、体幹トレーニングをしようが何をしようが、それによる、ブレをなくす効果はありません。

 

 

じゃあ、その記事はウソなんでしょうか?

 

もちろんそうとも限りません。

 

重要な部分は「体幹の筋力そのものだけにフォーカスしている限り」というところです。ある意味、体幹トレーニングだけではなく、ファンクショナルでもなんでもいえることかもしれません。

 

実際のそのトレーニングをやっている本人が、そのトレーニングをやりながら、実際の競技のどの場面で、等のイメージを十分にイメージしながらであれば、何がしか効果はあがるでしょう。

 

そういう時には、おそらくトレーニングしている本人は感覚を総動員してそのトレーニングをやっているわけです(指導者がそうでなくても。)だいたい、本当にすごい選手って、良くも悪くも指導者の言うことはあまり聞いていない人も多いです。

 

つまり「筋力だけ」にフォーカスしていないわけです。同じことをやっていても、その意識している世界が違うってことがよくあります。

 

もちろん、筋力を発揮する際には同時に感覚なんかも伴うわけですから、体幹であろうとなんであろうと筋力アップのためのトレーニングといえども、感覚や意識は切っても切れないものです。

 

問題なのは、筋力トレーニングはコンセプトとして常に「最大発揮」もしくは「より強く」しか意識していないという点です。

 

つまり、極端にいえば、最大に強く発揮するという強い意志にも近い感覚しかなく、逆の発想も中間もないもしくは乏しいということです。そもそもそういう選択肢しかないことが、筋力トレーニングを筋力トレーニングたらしめているという側面があるからです。

 

こういう人は安定=固めるという発想が染みついています。

これはまた、柔軟性を、ある関節の可動域さえ広がればいいという発想をする人と同じです。

 

ある意味、極端論(extremism)にもつながりますね。

 

逆に言えば、こういう一点豪華主義的、要素還元的な発想、意識を捨てれば、内容はどんなことをやっても、それなりの効果が期待できるということも言えるかもしれません。

 

人間はよくも悪くも、適応する生き物です。そういう感覚が日常化し、それが微妙な調節で成り立っている人間のパフォーマンスに効果がないどころか、悪影響を及ぼす可能性は決して否定できません。

 

ですから、体幹トレーニングで好成績を収めた選手に話を戻せば、こういう場合、体幹トレーニングが素晴らしかったのではなく、選手のトレーニングに取り組む意識と身体の感覚が素晴らしかったんでしょう。

 

要は方法論より、自分を知り(数値だけではダメですよ。)、どういう哲学と戦略をもってそれを達成するかを明確にしたうえで、どんなトレーニングであろうと自分の感覚から離れてはいけません。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です