筋肉とビタミンC
アルバート・セント・ジェルジと言う方をご存じですか?
私は伝記ものが好きで、昔はよく読んでいました。
三重大で「運動生化学」言う分野で勉強を始めていたこともあり、たまたま家の書棚にある一人の生化学者の本が目につきました(自分で買った本ではありません。たぶん買ったのは父です)。
「狂ったサル」というアルバート・セント・ジェルジというハンガリー生まれの生化学者が書いた自伝のようなエッセイのような本でした。
生化学という名で勉強を始めていたものの、もともと文系だったこともあり、いまいち「生化学とは何ぞや?」「科学って何ぞや」ということを、いまいちよく理解していなかった私は、こういう人がエッセイスタイルで書いた本ならわかりやすいのではないかな?と思って読み始めました。
読んでみると、こんな人が世の中にいるのか!!単に感動しやすいだけなのかもしれませんが(笑)、すごいインパクトがありましたし、科学の世界のおもしろさもこれで本当に良くわかりました。
肩書きとしてはノーベル生化学賞を受けた人であり、おなじみビタミンCを初めて結晶化した人として有名です。
我々体育人としても、非常になじみが深い、と言うか体育人が大好きな「筋肉」(笑)の機能を基礎的な部分から解明することに貢献した人です。
我々が知ったげな顔をして、やれ、アクチンだ、ミオシンだと言ったところで、この方の功績がなければ分からなかったかもしれません。
この当時は、ミオシンの存在はわかっていたけれども、これだけでは筋肉の収縮は起こらない、つまり収縮どうやっておこるのか謎だったわけです。
ある日、筋肉の抽出液を、しばらく放っておいたところ、その液体がねばっこくなっていたそうです。
その粘っこさを追求するうちに、ミオシン以外の別のたんぱく質がこのねばっこさに関わり、筋肉が「収縮する要素」を見出しました(当時はミオシンとの複合体で「アクトミオシン」と名付けられました。)。
いまは単独で「アクチン」として、筋肉を勉強した人ならだれでもが知っています。
そのエピソードのなかで、筋肉の研究をしている別のドイツの生化学者が、この発見についてのセントジェルジが論文に発表したすぐ後に、そのねばっこくなった液体を見せてくれとすっ飛んできたそうです。
そして、大きなため息をついて、「自分はこの液体が、腐ったからだと思って、腐ったからこそ粘っこくなったと思って、その液を捨ててしまった!」と嘆いたとセントジェルジは述懐しています。
そのドイツの生化学者は、それで大発見を、むざむざと逃がしてしまったということです。
またビタミンCの発見にしても、そのきっかけは医学生なら毎日、何千回となく行っているような、観察しているような反応に気が付いたことからだそうです。
ある液体に純粋な酵素を加えると、青く反応する。しかし、酵素の代わりに植物の液を加えると、その反応が0.5秒ほど遅れる。この純粋な酵素と植物の液体とその0.5秒の差異に疑問を抱いたことが、ビタミンCの発見につながったのだそうです。
また大発見をし損ねた、ドイツの生化学者のように、「かくあるべき」が全面に出てしまったために、大魚を(巨大な発見を)釣りにがしてしまった失敗談も書かれています。
セントジェルジは教訓として、
①どんな学問においても、理論と実際の間には小さな相違というものがあり、どんなささやかな差異もおろそかにしないで、絶えず目を見開き、絶えず心を動かしている必要がある!
②日常茶飯の、我々が絶えず見聞きしているものの中に一つの神秘、奇跡を見出すためにはどうしても子供のような心を持ち続ける必要がある!誤りを恐れるな!誤りなしに大胆な発想をすることは不可能!
②どんな巨大で精巧な機械より、精巧であり、より大きな存在とは人間の目と頭だ!これを最大限活用することを忘れるな!道具や機器の方法論が重要なのは事実だが、自分の流儀とやりやすい方法が必ずある!
たとえば、液体をかき回すのにガラス棒を使わず、指でかきまわすそうです(すべてではないでしょうけど)。これもすごい話だと思います。
③偉大な発見は一つの偶然であり、事故である。ただし、その偶然ないし事故は用意された魂、用意された頭脳にのみ訪れる。
科学者でありながら(本当は科学だろうとなんだろうと関係ありませんが)、正確性や客観性より、主観、興味、人間の魂の偉大さ、自然に対する謙虚さ、直観・センスを強調したところに本当に当時も今も感銘を受けます。
この方は釣りが趣味だそうです。これも親近感(笑。
いまでも、この本にかいてあったことは、本当に新鮮味をもってよみがえってきます(このブログは、この本片手に確認しながら書いています。)
先日、伊勢であった勉強会でもそのことを再確認しました。
いつかこのことを書きたいと思っていました。
IT’S ITO’S PILATES!!!での仕事は、研究ではなく、現場での仕事です。毎日接するクライアント、お客さんの身体を観察し、クライアント自身が自分を観察し、運動をして感じることで、何がしかの変化を起こしていく仕事です。
そして科学の枠だけに収まらない身体の発見、偉大さに気付いてもらうという点はまったく変わらないように思います。
科学の枠内だけで判断しようとする態度ではなく、人の身体の偉大な可能性について追及していくために、自分のスタイルと直観を大切に、常にオープンな心でやっていきたいと思っています。