ジョン万次郎の語学の理解と身体の言語?

前に、ブログにちょっと書いたことがありますが、高校を卒業して、初めて専門の学問となったのは英米語学です。ちなみに英米「文学」ではありません。

 

英米文学はその名のとおり、「文学」について主に学ぶところですが、私の元専門は英語そのものを学ぶ「語学」です。

 

さてさて、語学・文学の詳しい話はさておき、「ジョン万次郎漂流記」はご存知でしょうか?

 

井伏鱒二の名作ですね。実在の人物を描いた伝記です。箇条書き風に説明しますと、

 

①江戸時代末期、土佐の貧しい漁民の万次郎が、漁の途中に遭難し、無人島に流され、アメリカ船に助けられる

 

②アメリカで教育をうけ、読み書きなど、困難を乗り越え、捕鯨船などに乗りアメリカ  で頭角を現す。

 

③日本に帰ってきてからも様々な苦難が待っていたが、さらにそれを乗り越え、アメリカ事情通として、また通訳として、日米国交を結ぶ上での重要な役割を果たした。

 

とまあこんな感じですが、実はこれは当時、大学で授業を担当していただいていた、日系アメリカ人(ハワイ出身の方)の先生が教えてくれたことです。

 

この話を知って、西洋的なものに若干かぶれていた、また劣等感(?笑)がある私に、ほんとうに日本人としての誇りを取り戻してくれた本でした。

 

現在やっている古武術にしても、昔の日本人の身体や、その使い方に興味を持ったのも、実はこのころでした。

 

万次郎がアメリカ時代、捕鯨船に乗っていた時に屈強なアメリカ人の船乗りたちをまとめる役までに頭角を現した背景には、勤勉さや真面目さだけではない、精神的、そして、身体の大きさなどに左右されないような、ある意味肉体的な強さも持っていたからでしょう。

 

これはこれで、またいろいろなネタになりそうですが、今回は万次郎が日本に持ち帰った英語についてです。

 

このことが、人の身体と運動を見る時に非常に参考になるというか、一つの考え方を示していくれているように思うからです。

 

それは特に英語の発音についてです。通常、日本国内で英語の発音を学問的に学習する時、例えば高校時代なら、英語の辞書には発音記号があり、アクセント(抑揚)、そして音節なんかがあります。大学レベルの専門な学問では音声学と言う学問があります。

 

私も含めて、ちょっとかじったことのある人間は、つい、そういうことを持ち出してあーだ、こーだと言ってしまいます。

 

しかし!

 

万次郎は、貧しい、しかも、都会から遠く離れた僻地の、教育もろくろく受けられていない元漁民です。

 

どんな英語の発音だったのか、ここでは私が説明するより、ウィキペディアのほうが、簡潔に説明してくれていますので、そちらを以下、引用します。

ジョン万次郎と英語

  • ジョン万次郎は、英語を覚えた際に耳で聞こえた発音をそのまま発音しており、現在の英語の発音辞書で教えているものとは大きく異なっている[2]。中浜万次郎が後に記述した英語辞典の発音法の一例を挙げると、「こーる」=「cool」・「わら」=「water」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York」など[3]。実際に現在の英米人に中浜万次郎の発音通りに話すと、多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似しており十分意味が通じるという実験結果もあり、万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音しやすい英語として教えている英会話教室もある。

以上です。

他にも、先に出てきた恩師は、英語のStocking(現在の日本語ではストッキング)を「スタキ」、ハワイに移民してきた女性などは、Girl(ガール・女の子)のことを「ギョール」と表現したと言います。

そして実際使うときには、一般的なカタカナ英語より、実は通じるということです。ウィキペディアにもあるように証明されているようです。

恩師は、

『「物事を全く素直にそのままを受け止め(英語の音をそのまま受け取り)、」

「その上で自らのバックグラウンドに当てはめて、そのままの形をなるべく損なわず、自分にとって最も最短距離なやり方(日本語の音韻体系のできる範囲)で表現した」ということである。そっくりそのまま真似をしているように見えて、そうではなく、自らのアイデンティティをかえることがない。(相手をしっかり尊重しながら、自らの立場も変えることがない)。これが本来の国際化の姿である。』

と言うようなことを、私が卒業した何年か後に大学の同窓会報に書いておられました。

 

すごく「なるほど!」と思ったものです。それ以来、私は英語を話すとき「基本を押さえ、誤解を招くことがなければ、発音は日本人なまりでOK!!」と強く思うようになりました。

また、これには私自身も偶然に起きた後日談があります。

ある友人がたまたまアメリカ人と友達になりました。その友人は英語がそれ程得意ではなかったのですが、会話の中に「グロウ」と言う言葉が出てきて、それがわからないんだと、私に助け舟を求めてきました。

 

いざ、聞いてみると、何のことはない、さっき出てきた「GIRL・女の子」と言う単語だったのです(笑。

要は、何の先入観もなく聞けば、そういう風に「聞こえる」ということです。もちろん「聞こえる」と言うことだけでなく、実はそれが、つまり「グロウ」の方が、下手に勉強した頭で考えた「ガール」よりも真実の姿に近いということなんです!!!

 見方を変えると、あの「空耳アワー」みたいなもんですね(笑。

ヒトの身体や運動を見る時も、筋肉の起始停止や、関節云々は一旦おいといて、まずは先入観なしに、そのまま見る!

 

つまり、解剖学用語や生理学用語で身体をみるのではなく、「身体語」をしっかりと聴くように丸ごと見るわけです。

 

そこには心・精神も含めてということになるでしょう。

 

運動の学習にしても、自分の身体を素直な状態にもっていく、そのまま受け止めて「感じる」ということが重要なんだな~と本当に思います。

ということは身体と心を、ある程度素直な状態に持って行ったほうがいい。

 

そこから得られるあらたな発見!

 

そしてその上で、自分の立ち位置を考える、自分に何ができるか、何が必要かを考える。

そう考えると、ピラティスも、ヨガも、S&Cも、ストレッチよし、筋力強化よし、垣根なんてなくなるんじゃないでしょうか!

大切なのは身体を見る目であって、方法論ではない。一つ一つの細かいテクニックにはもうあまり興味はありません。

 

でも、そのまま見る、そのまま受け入れるってホントに難しいです。一生勉強なんでしょうね。

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