動きに慣れてしまわない

「動きに慣れてしまわない」

よく、脳トレなどで耳にする機会が多いのですが、
「脳を活性化させるために<普段とは違ったこと>をする必要がある。」
と言います。

たとえば、後出しじゃんけんで、負ける。であったり、「パー」と口でいいながら、「グー」を出したり、などなど。 

混乱が脳を活性化するということらしいです。高齢者の運動指導の場面ではよく目にします。

確かにこれはこれで理にかなっているように思えます。

なにより、ゲーム性があって笑いが起きたり楽しそうにしている。
こういう点では、ほんとに素晴らしいと思います。

また楽しませるのが上手な指導者が非常に多い。

楽しいということが脳を活性化するということもありますから、それならわかる。

でも、ひっかかるのは脳を活性化するのってそういう「混乱」だけが意味あることなんでしょうか?先にいった「楽しい」というのとは問題がまた違いますよね。

どうも昨今、そういうこと「だけ」に脳の活性を集約されてしまって、かえって本当の「脳と身体、そして運動との関連」を悩み、考えることがおろそかになっているような気がしてなりません。

まあ、そういう批判めいたことが今回の主題でないので、このことは一つ横に置いておいて、

IT’S ITO’S PILATES!!!的な<普段とは違ったこと>とは、

「慣れてしまっていることに、もう一度新鮮味を取り戻すこと」、あるいは「分かったつもりになっていることを見直すこと。」「単純なことでも慣れてしまうのを極力避ける」ことにもあるということです。

みんなが勉強したことのある英語でも同様な経験があります。
私は2、3年間、いや、3~4年かな。ある英語の本をずっと翻訳していた時期があります。

ちなみに私の最初の専門は外国語で英語です。その本にすごく思い入れがあるということと、英語が専門だったということもあり、この翻訳チームに入れていただいたという経緯もあるのですが、ただやってみるとこれがなかなか最初はうまくいきませんでした。

英語の翻訳でネイティブでない人間にとってむずかしいのは、私の経験では、難しい専門用語よりも、簡単な名詞、基本動詞(give,take,get..etc)というような、「こんなの知ってるよ」というような語の解釈です。

普通に訳すると意味が通らない・・・これに結構苦しんだ記憶があります(ただ、学術論文にはこういうことはあまりありません。と言うのも専門用語が多く、語の定義がより明確だからです。)。

余談ではありますが、これはネイティブに近い環境にいる人にはなんてことはない簡単なことです。それは「語感」というものが身についているからです。それは語源や文化的なものからきている場合が多いんです。

よくよく調べてみると、「なるほど、こういう意味があるんか!!」と驚くことがよくありました。

周りにいるネイティブの外国人に聞いて回ったりもしました。

こういう経験が重なって、その本の翻訳の後半では、簡単な単語ほど、良く調べるようになりました。

この、「なるほど!!」「へえ~」です。知ってたと思ってたけど、知らなかったことに気が付く、これって脳の活性化じゃないの? と思うわけです。

運動で言えば、本当に何気ない運動に色々な意味を見出すことです。

仰向けで膝を立て、片膝を垂直に持ち上げる(足裏が床から少し離れる)。という非常に単純な動作においても、条件を少し変えればその人にとって全く違った意味を持つことがあります。

ほんの数ミリ一部分をかえただけで、できる運動が出来なくなってしまう場合も珍しくありません。

そこには新たな気づき、脳の活性があります。

簡単な動作に慣れさせないようにする。これも非常に重要なんです。

バリエーションがすべてではないということですね。

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