指一本のありがたさ
普段、何げなく生活していると、忘れがちな健康。
風邪をひいて初めてふつうの健康状態のありがたさがわかるように、指一本のありがたさって本当に気づかないし、そういう発想は当然ふつうの生活をしている人々はあまりないでしょう。
でもよくよく考えてみればわかるように、たとえば足指指一本失ってしまえば、心理的にも肉体的にも相当なダメージです。ただ立つことへも影響が相当あるでしょう。
遠く昔の武士の真剣での斬り合いにおいては、良く映画の殺陣などでみるような、胴体を斬ったり、頭を斬ったりということはあまりなかったそうです。それよりも相手の指を狙うことも多かったそうです。
やはり映画は映画。実際とは大きな隔たりがあったようです。
良く考えれば、相手の指を落とすことができれば、もう勝負ありですよね。
話変わって、
女性の場合、かつてのクライアントの方でしたが、乳がんで、片方の胸を切除した人がいらっしゃいました。切除してしばらくはよく転んだそうです。また切除した傷痕の関係で、呼吸が苦しいとも良くおっしゃっていました。
乳房は脂肪の塊のようなもので、運動という機能にはあまり関係がないように思いますが、それでもなかなかの大きな影響です。
皮膚もそうです。体表の何分の位1かをやけどで失えば、生命が危機にさらされます。
あまり大きな関係のなさそうなことが、実は重要な意味をもつことはたくさんあります。
トレーニング、運動指導においても、基本として、重要なことは大きな筋群から優先的に動かしていく、鍛えていくのは常識となっています。
また体の中のある部分を重要だとして重点的にという考え方もわかります。
またスポーツのコーチングでもやはり重要な技術を優先的に練習することは重要です。
これは、正しい考え方だと思います。
しかし、本来はすべて重要であり、独自の進化の過程の中で、人間は人間の形態を持ち、犬は犬の形態をもっているのです。
さらにその種の中でも個性というものがあります。
これは一般論では到底処理しきれるものではありません。
遠回りのようですが、それらを一つ一つ紐解き、自分の動きを考えること。こういったことも一度やってみてはどうでしょう?
小さな部分が大きな部分とどのようなかかわりがあるのか、あるいはそのスポーツの技術や運動様式が身体の大きな部分だけでなく細かい部分とどう連動するのかを、よくよく検討することは必要です。
小さな部分の一ミリは大きな部分のセンチ単位の違いとなって表れるでしょう。
それが大きな効果となって通常のトレーニングや運動がより意味のあるものになるとともに、自分を知る事にもつながります。
是非こういったことを一緒に追及してみませんか?