無理な運動とできない・やりにくい運動

「無理な運動」と「できない・やりにくい運動」

とくにイトーズピラティス的に最近良く思うこのテーマで書いていこうと思います。

筋力トレーニングたとえるならば、バーベルを持った状態でのスクワット。
重い負荷でスクワットをするとき、どうしても足の内側の土踏まずが崩れ、膝が、足先に対して内側へ折れるように曲がってしまうような場合、これはやはり「無理な運動」の部類に入ってしまうでしょう。

きっちりとしたフォームでできる重さまで負荷を落とすなり、腰を角度を調整するなり、またあるいはそのフォームに必要な筋群を使えるようにしたり、筋力アップをはかったりということが必要です。

またピラティスの例においても、あおむけに寝た状態で脚を空中に浮かせるような種目があり、この時に腰が反ってしまったりして痛みが出るような場合、それはやはりその人にとって「無理な運動」の類ということになります。

これをそのまま「ピラティスは〇〇にいいから」ということで、続けようとすると、まさに「百害あって一利なし」ということになります。

上記のような極端な状況は「当たり前だ!」と言われそうですが、もっとセンチ単位、いや、ミリ単位でこういった無駄な動きや各関節つながった関節の動作のエラーをしっかりと制御していくということが非常に重要になったりするのです。

そういったエラーの元が、実はそのエラーとして表れている部分とは一見全く関係のないと思われる、他の部分であるということも多々あるわけです・・・。

若干主題から話が拡がってしまいましたので、焦点をまた絞ります。

さて、前述した「無理な運動」に対して・・・・・

例えば、仰向けに寝て、片腕を天井方向へ伸ばし、指先も天井へ向ける“片腕の前ならえ”をします。

そこから指先を天井にほんの1~2センチほど近づける動きをします。

近づけたら、またそーっと力をゆるめて元の位置まで戻します。

この動きをするとき、重要なことは、必ず肘は少し緩めた状態のまま動かさず、肩甲骨だけ動かすようにします。

ほとんどの方は指先を天井に近づけようとすると、ひじが完全に伸びきるような動きが伴ってしまうでしょう。目的の動作を完遂するのに必要のない、あるいは妨害になってしまう動作や緊張、いわゆる「代償動作」です。

実際にやってみるとわかると思いますが、このように肘を完全に伸ばした状態では、肩甲骨のコントロールがかなり悪くなります(動かない訳ではありませんが)。

さて、有害かどうかの議論はさておき、その中でもさらに多数の方が、何度口頭で指導し、さらにタクタイルキュー(触れて動きを誘導する指導)で、肘を緩めた上で安定させるような誘導をしても一時的には動かせても、少し目を離せば同じような動作をしてしまいます。

すなわちほんの2~3センチの、通常の可動域の半分程度の、しかも非常に単純な動きでさえ「肩甲骨だけを純粋に動かすことができない」ということです。

これが「できない・やりにくい運動(動作)」です。

こういった動作は決して負荷ほとんどかかっていませんし、可動域の範囲で考えてもかなり余裕のあるはずの動きであり、構造的、機能的、生理的、どの見地から見ても基本的にはできないはずのない動きで、先に挙げた「無理な運動」とは明らかに一線を画していると思うのです。

もちろん、このような動きでさえ痛みを生じる方もいます。そもそも、そういった方は基本的に医療的なアプローチあるいはそれ以外の別の形のアプローチが必要な方でしょう。

このようなことはこの例に挙げた肩関節、あるいは肩甲帯だけでなく、ありとあらゆる全身の関節、筋肉に存在すると考えられます。

これらの動きを取るに足らないこととして、無視して、ピラティスにしても、いろいろなスポーツの動作やトレーニング等を指導するか否かは指導者の選択、アスリートの自らの意識にかかっています。さらに一般の方、年配、高齢の方でこれから健康のために運動をしようと言う方でも十分当てはまります。

当然、特にアスリートであれば、年間の試合スケジュールやピリオダイゼーション(試合期や、強化期などの時期のトレーニングの組み立て)によって優先順位は変わってきます。

「そんなまどろっこしいことはやってる時間はない!それより効果が目に見えるフィジカル強化だ、戦術の方が重要だ!」ということも多いでしょう。もちろんそれは競技現場においては正論ですし、実際正しいと思います。

一般の方であれば、「こんな細かいことにこだわり、運動らしくないことで効果が出るんか!?」と思われるかもしれません。これに関しても全く的はずれではなく、効果と言っても効果の種類が少し違うのです。

しかし、そういった小さなことから「運動」「人間の動き」というものを見直すことを監督・コーチをはじめとして、選手個人個人が気づき、意識してトレーニングやその競技に取り組むか否か、

そして一般の方であれば、自分で前述のような自分の身体の気づきをしっかり深めながら健康のための運動に取り組むことで、健康のためにと始めた運動が運動が、不健康の入り口に入ってしまうか否か・・・・。

『無理はないけどなかなかできない運動』」・・・・・そこにポイントがあるのかもしれません!!!

これにこれに取り組むことで結果が大いに変わってくるというのが私の信念であり、それをすこしでも多くの人に伝えることが仕事の一つであると確信しています。

極真空手の故・大山倍達総裁がその著書で、壮年になり、技の円熟期に達してもなお、基本中の基本、拳の握り方についても「この握り方でいいのだろうか?」といつも探究をしていたと言います。

これって大山倍達のような道を究めようとしている人だけがやればいいことなんでしょうか?そうではないはずです。アスリートならなおさらです。

空手のように命を懸けて戦うことはないにしても、新しいスポーツやトレーニングをやるという時には、まず基本中の基本の普段の何気ない単純な動きを見直すというのは非常に良いことではないでしょうか?

人間は能力のほとんどを眠らせたまま、一生を終える・・・これはよく言われることですが、ここにその一端があるように思えてなりません。

究極的にいえば、それがどんな運動(野球、サッカー、ランニング、ウエイトトレーニングなどなど)であろうと、追及していけばこういったところにたどり着くのではないかと思います。

ぜひ、食わず嫌いではなく、しっかりやってみてください。新しい世界が開けます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です