東洋医学に関する勉強会

今日は約20年来お世話になっている東洋医学の先生の研修会に参加。
初めてお会いしたのは私が25-6くらいの時かな・・・

それだけ長くお付き合いをさせてもらって、個人的にもいろいろアドバイスやヒントをいただいているにもかかわらず、本当に初めて先生の哲学を改まった「研修」として触れる機会は初めてでした。本当にエキサイティングな体験でした。

ようやく入口に立てた心境です。

実をいうと、これまでの体験から、先生の考えていることを理解し、自分の実践の中に活かしていくというのは、初めてお会いした時からの、私の20年来の目標の一つでもあるのです。

私の「ボディーワークとトレーニングの融合」とか、「意識と姿勢・動き」という現在のテーマも、この時にその「基本的な問い」が生まれたといっても過言ではありません。理屈は分からなくても、自分の感覚の中に刻み込まれたというような感じです。

いろいろ思い出してみると、先生の施術、治療は私が初めて受けた当初から考えるとどんどん変化してきています。

ただその根底に流れるものは昔から変わっていません。それは、「あくなき探究」です。

失礼ながら推察するに、おそらく先生も悩みながら、それでも変化を恐れず、また他人の築いた理論を参考にはしても検証を怠らず、臨床の中での「現象」に集中して、コツコツと自分の理論を築いてこられたのだと思われます。

誰かの作った道を歩くのは非常に楽なものです。教えてもらった「やり方」を学び覚え、さらに新しいものを追加、実践していくというだけ。

エッセンスは何か?

それは本当に正しいのか?

そもそも「正しい」とはどういうことか?

何を前提、基準にしているのか?

○○科学というだけで、鵜呑みにしてしまってないか?

ある枠組みの中だけではこのような疑いは生まれにくいものです。自分にとってのピラティスやトレーニングにしても然り。学んで、体験して、自分でぶっ壊して、また悩む(笑)そしてまた少し積み上げる。これをやって行かないと次のステップはないと思うようになりました。

「東洋医学」という枠組みにとどまらず、先生の治療、施術は独特のものがあり、20年うけてきて、もちろん私自身さまざまな結果を出してもらい、体験・体感もして、それについても説明を受けてきましたが、理論というか、すくなくとも私の中の「理論」という枠組みを完全に超越していて、ひとくくりでは語れないものでした・・・いやいや、もし理論は理論だとしても、次元が違うということもできるかもしれません。

私も、「科学」というものをほんの少しはかじったつもりです。しかし科学というのは人間や自然を語るのにほんの一部分でしかないという事実をもっと認識するべきだと強く思います。もちろんその一方で、一見非科学的なものを科学の視点で、慎重かつオープンな目で検討すべきであるとも思います。

取り留めがなくなってしまいましたが、先生という先達の姿勢、そしてその哲学・技術を道しるべにさせてもらいながら、自分の道をさらに究めていきたいと思った一日でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です