パフォーマンスと身体の使い方
身体の使い方といっても、単に「解剖学的な構造に則って、物理的、生理的(特に骨格筋や関節の)に適正な範囲内で動かす」と言うだけの意味で使っている人が多いのではないでしょうか。
もちろん、これは非常に大事なことです。
でもそれだけでは大雑把すぎる。
あるいは、思い通りに動かすって目的で、不安定なものの上で腹筋やポーズをとる。曲芸的な運動を目標にしたり、結局やっていることはリズム体操的だったり。
目先を変えたりする意味だったり本当にそういう競技であれば悪いわけではありませんが、それだけでは一人ひとりのスポーツの技術・パフォーマンス向上を考えるときには特異的すぎて極端すぎます。動きの質と言う意味でも結局遠ざかってるように思います。
例えばリズム体操的なら、エアロビクスやダンスのコリオグラフィーとなんら変わりありません。それを練習すれば、身体の使い方がうまくなるんでしょうか。
それならエアロビクスをやっていれば、身体の使い方において万能ということになります。全く関係ないとは言いきれませんが、そうではないでしょう。あくまでこういうダンスの中で、リズムの中でということになります。
これが特異的すぎるという意味です。
動きの質ってそういうものじゃない。
身体の使い方がもともとうまい人がエアロビクスをやったらすごかったというのならわかりますけどね。
私が求めているのはもっと普遍的、包括的なものです。
また、パフォーマンスには戦術や精神的や心理的な資質の事、栄養、もっと言えば天候や施設なども含まれることも、よく言われます。
これもごもっともですが、外部の条件はコントロールできませんし、戦術も外部によりますから、これもある意味コントール外。
心理や栄養は身体にも現れます。
個人内レベルで動き質やからだの使い方を考える場合、心や重重力など、外力との関係、連動のタイミング等の時間軸、呼吸との関連等考慮しなければならないことはいくらでもあります。
例えば、肩甲骨や胸郭等が、適切な可動域があり、筋力もそこそこしっかりしていて、それなりに動いているにもかかわらず、その上半身の動きのちょっとしたことが問題でパフォーマンスを妨げていることがあります。
一連の動きのなかでも、それぞれの局面の動きの目的によって、全く別で逆のことをしなければならないことも多々あります。
極限まで単純化して考えると、パフォーマンスって「自分と他者や外部の環境の中で目的を達成すること」と考えることができます。
自分と他者と外部の環境をつなぐもの、それは五感を含めた感覚です。そしてそれらをもとにパフォーマンスへ統合させるのは意識です。
筋肉や関節なんてのは効果器でしかない。でも、見方を変えると感覚器でもある。
巷のトレーニングは、口ではなんだかんだ言ってもやってることは効果器としてしか見ていないんだろうなと言う気がします。もちろんやる人により違いますが。
だから強くすることしか頭にないし、引っ張って伸ばす事しか発想にないんですね。そしてバリエーションの多さや曲芸が究極の姿ということになる。
そのものは全く悪くないんですが、それしか選択肢がないってことが問題なんです。
同じことをしても、感覚を鋭くすること、身体のイメージを詳細にして、意識の持ち方を考える。その運動に対する発想を変えることは、
トレーニング内容を変えずにその人を変えます。そしてパフォーマンス向上の大きな助けになります。
考えてできることではないし、教えることも非常に難しい。実感する手助けをするだけです。
実感すれば変わります。