理想のトレーニングって?
理想のトレーニングとは?
一言で言えば、最小のトレーニング刺激で最大の効果。
これに尽きます。
しかし、どのようなトレーニングしようと、トレーニングの強度と量は早々に頭打ちの時が来ます。
時間的にも物理的に限度があります。
どう考えてもこれは明白な事実です。
一日は24時間しかありません。
マラソン選手でも、月間1000km走り好記録を一時的に出す人もいますが、それを何年もは絶対に続けられません。
そこに早々に到達してしまって、まだ力をつけたいのに、そのあとに打つ手は?
月間700km程度にして、筋力トレーニングに取り組む。これも一つでしょう。
違った観点からトレーニングを見直すってすごく大切です。
でもこういった刺激のトレーニングには回復の時間が必要です。長短はあるにしてもその中の何時間は休息に充てる必要があります。
生体はそういうリズムで運行しています。
何もしなくても人間は睡眠で休息をとらなければ生きていけない上に、トレーニングは基本的にストレスであり、破壊行為だと考えると、休息、回復がなおさら重要です。
そこにさらに日常生活上のストレスも加わります。
物理的、時間的な許容量はパイやピザの様なもので、どれかが増えれば、どれかを減らさなければならず、それを超えた時、何らかの形で破たんが来ます。
その破たんがケガや病気ということになるでしょう。
時間と物理を超えるもの。
それが意識ということになるのだと思います。
もう一つの別の次元の観点です。
意識は回復へのステップにも重要な役割があると考えています。
意識というと、「意識が高い低い」というような形で「意欲」という意味と混同されることがあるように思いますが、そういう「意識」ではなく、もっと詳細で具体的なイメージや感覚の事です。
意欲が高い人はたくさんいますからね。
私も陸上選手の時、意欲だけは誰にも負けなかったと自負しています。
でも意欲がそれほど高くないのに、こういう意識は非常に優れている人がいます。
意欲ではない、「意識」は、最小の刺激(物理的・時間的)で最大の効果をもたらし、限界への到達への猶予、あるいは限界をより上に押し上げてくれる効果をもたらしてくれるものです。
考え方を少し変えれば、老化を遅らせるという、アンチエイジングにもつながるとも考えるのではないでしょうか?
運動が身体によい、つまり、肉体へのトレーニング刺激(もちろん適度な、ですが)が良いとよく言われますが、それはある意味方便のようなものかもしれません。
ここでいう「意欲ではない意識」への入り口のようなものです。
意識の持ち方によって運動で体を壊す人もいれば、100歳以上健康で長生きする人もいますし、
煙草を吸っても長生き、
酒が毒になる人がいる一方で、百薬の長になる人もいるということです。