できるからこそ分からない。できてからがスタート

出来るからこそわからない。

ランニングやウォーキングというのは、基本的で誰でもができる運動です。

誰でもができるからこそ、本当に効率的な走りであったり、足が痛くならない走り方というところまで、陸上選手でないかぎり、ほとんど、あらためて考えるようなことがありませんし、また考える必要もありません(ある意味陸上選手でもほとんど考えない)。

速い人もなぜ自分が速いのかなかなか説明できない。

それは、ランニングやウォーキングのような人間の基本的な運動といわれる運動でも、もっと深く考えると、かなり高度な運動であるともいえるからではないでしょうか。

また、ウエイト・トレーニングにおける、基本のビッグ3といわれる運動においても、確かにウエイトトレーニングの基本ではありますが、もっと深い視点で見れば、実はけっこう高度に統合された運動であるといえます。ましてや、より技術の必要なスナッチやクリーンなんかは、「超高度」な運動といえるでしょう。

さらにゲーム性のある競技スポーツは言うに及ばず。

それでも、ある程度練習すれば、まずまず見られる形まではできるようになります。

通常の競技スポーツのこの種のウエイトトレーニングであれば、筋力を高めるという目的ですから、効くべきところに効いていて、動きにある程度大きな安全性の問題さえなければ、年間計画の中の時期や、あとは回数やトレーニング頻度といった変数の問題のほうが大きく重要です。これはこれで大切なことです。

しかし、トレーニングとは違い、重量挙げの競技のオリンピック選手となれば、全く次元が違ったものになります。なぜなら、大きな試合ともなれば、ちょっとした心理や動き、技術的なミスが記録に大きく響くからです。ですから、ぎりぎりのところに行けば行くほど、小さな動きや感覚にまで気を配るようになります。

ここで、やはり感覚・センスの問題というのが大きくクローズアップされてきます。

 

センスを磨く場合、できてからがスタートです。

ピラティスの種目も同じ。この動きは何を意味しているか。どんな感じがするか。それらがすべてヒントになります。解剖学的なことだけ考えてはいけません。また「機能的」という言葉にも騙されてはいけません。

これは砲丸投げの話ですが、少し前まで、オリンピックの公式の砲丸の中から、日本のある町工場の作った砲丸が世界のトップ選手のほとんどから選ばれていました。

その理由は、その砲丸の重心が非常に正確だったからです。オリンピックで使用される砲丸は日本製だけでなく、世界各国のメーカーから選りすぐりのものが公式砲丸として認められ、選手はその中から自由に選ぶことができます。

その砲丸は全て手作りで作られます。つまり、コンピューター制御の機材では作れないという事です。

詳しいことは省略しますが、正確な重心は通り一遍のやり方では作れないのです。すごい職人技です。

職人が職人なら、一流選手もまた一流です。

重心の位置が、1ミリでも違えば、手の中でぶれて、飛距離が
1~2m伸びなくなるということです。

選手は、手の中で投擲時の感覚がしっくりくるものをほとんど本能的に選ぶというわけです。重心が正しいものがいいといっても、誰も測定機材で正確な重心を測定する人はいないでしょう。

本当の一流は「ただできるだけ」ということを「できる」とは考えない。日ごろからいろいろな事柄に注意を払い、感じ、気を付ける。

中途半端であれば、下手にできる分、考えない、悩まない。

何とか必死でやれば、道は開けると考える。

感性が働かない、感性が働かないから、違う世界があるということがわからない、想像さえもできない

ということも言えるんではないでしょうか。

自分なんか、ほんとそんな選手だったなあと思います。

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